ノブユキ番外編

かつては1週間の個人的収穫を振り返るブログでした。現在は不定期で更新中。

慎重かつ大胆に

2021年9月26日、ABCテレビ制作・テレビ朝日系列のクイズ番組「パネルクイズ アタック25」が46年半の歴史に幕を閉じました。最終回は1時間の拡大版で、過去にこの番組で出場経験のある猛者たちによるパネルの取り合いが繰り広げられました。放送時のTwitterの反響でアタック25がいかにクイズファンに愛された番組であったかが分かりました。

 

番組が始まったのは1975年4月6日。当初は単独スポンサーを冠した「東リパネルクイズ アタック25」というタイトルでした。とあるABCのスタッフが子供とオセロゲームをしているときに思い付いた企画がこの番組のルーツとされています。ちなみにオセロゲームは茨城県水戸市発祥なので、生まれも育ちも水戸の人間として誇りに思います。

 

初代司会者は俳優の児玉清さん。優しい語り口調や番組を進行する姿は紳士そのもの。休憩中、解答者をリラックスさせるために自ら飴を配っていたエピソードは有名で、児玉さんの人柄を感じさせます。2006年の芸能人大会では児玉さんのモノマネでブレイクした博多華丸さんが相方の博多大吉さんと一緒に出場し、アタックチャンスのコラボをしたことも思い出されます。

 

2011年、開始以来36年にわたり司会を務めてきた児玉さんが病に倒れ、ABCの浦川泰幸アナウンサーが代理を経て2代目司会者に就任しました。浦川さんはそのような経緯を感じさせない淀みのない進行で、時折解答者に見せるちょっとした毒舌も特徴的でした。2014年に発行された番組の公式ファンブックのインタビューで「クイズ番組は情報番組」という言葉を残しています。

 

2015年、浦川さんの後を継いで3代目司会者に就任したのは俳優の谷原章介さん。谷原さんは児玉さんと生前親交があり、TBSの情報番組「王様のブランチ」の司会に就任する前に児玉さんに相談したことがあったそうです。その児玉さんを彷彿とさせるようなスマートな進行スタイルで、パネルの展開によって熱くなる姿もそっくりだったように思います。野球ファン大会のときはカープファンとしての姿を見せることもありました。

 

そんな歴史のある番組を物心がついたときから見ていた自分も大人になり、この番組に出場したい願望が強くなりました。私はABCの東京支社で行われる関東予選に2回参加しましたが、いずれも筆記問題で落ちてしまいました。残念ではありますが、そもそも予選への応募は抽選で、2回応募して2回とも呼ばれた自分は幸運という見方もできます。会場でもらったボールペンは今でも大切に保管しています。

 

「またいつか出場したい!」という野望を捨てずに番組を見続けていたなかでの終了報道には本当に驚きました。思えば近年は、コロナ禍で一般出場者を呼べない、最終問題の賞品である海外旅行にも行けないので旅先が国内に変わる、若年層(コア層)の視聴率獲得が顕著になるなかで高齢者向けのCMが流れているといった要因が重なっていたため、妙に納得してしまった自分がいました。いずれにせよ、小さい頃から見ていた番組の終了はとても残念ですし、各テレビ局のコア層重視の流れにも疑問を覚えました。

 

様々な思いが交錯するなかで迎えた最終回。予選を勝ち抜いた東西のクイズの猛者12人を2ブロックに分けた最終予選を経てついに最後のパネル争い。序盤は緑の解答者(日髙大介さん)が早押しで圧倒的な強さを見せつけ、残るパネル5枚の時点でトップでした。しかしその後、形勢は逆転。他の色のパネルを1枚消すことができるアタックチャンスの権利を得た赤の解答者が連続正答し、最終的にトップ賞を獲得しました。

 

このクイズ番組は正解数が多い者が優勝するとは限らず、正解数が少なくてもパネルの取り方次第では後者が最も優勝に近づけるのが特徴です。児玉さんがアタックチャンスのポーズをする前によく言っていた「慎重かつ大胆に」を表したような最終回で、番組ファンとしてとても胸が熱くなりました。

 

ラストコールの問題の答えは「エピローグ」、最終問題の答えは「始皇帝」。終わりがあれば始まりがある。ABCがあらゆる形での復活を示唆しているアタック25、前日にレギュラー放送が終了したフジテレビの「99人の壁」同様、視聴者参加型クイズ番組の今後の展開に注目していきたいです。